【MCPミャンマー紀行 vol.23 メンバーのミャンマーエピソード その①】
いつも応援していただき
ありがとうございます。
クラウドファンディングは11月18日まで。
残り1週間となりました。
本日からは、
メンバーのミャンマーでのエピソードをご紹介させていただきます。
お写真と共にお楽しみいただけるとうれしいです。
本日は、3つのエピソードを
ご紹介します。
.
.
***************
「日曜日生まれはガルーダ」
K.H.
仏塔の周りには「八曜日」の仏像と守護動物が祀られていて、参拝者は自分の生まれ曜日の仏像に参拝します。
守護動物は、
日曜 ー ガルーダ(ガロン)
月曜 ー 虎
火曜 ー 獅子
水曜 午前 ー キバのある象
水曜 午後 ー キバのない象
木曜 ー ねずみ
金曜 ー もぐら
土曜 ー ナーガ
この写真は、日曜日生まれの息子が自分の曜日の仏像にお水をかけているところです。
下のほうに祀られているのが守護動物ガルーダ。
ヒンドゥ神話に登場する神鳥で「ガルーダ・インドネシア航空」のシンボルにもなっていますよね。ミャンマーでは「ガロン」と呼ばれるそうです。
私たちに寺院での参拝の仕方を教えてくれたのは、一緒に写っているヤンゴン在住のガイドさん(タイ人の方)でした。
またいつか参拝できますように。
.
.
.
***************
「神様の概念」
C.T
私には普段、神様への意識はほぼない。困ったときや苦しい時にだけ、時々神様は現れる。でも神が存在するのが前提の国で生活するときは、その概念はいろいろ変化する。
以前ブラジルで生活していたころ、そこには神様がいた。町のいたるところに教会があり、イベントに参加したり食前の祈りを目にすることで、そこに神様の概念を感じることができた。神様と自分たちの共存という感覚は心地の良いものでもあった。
ミャンマーにも神様が存在する。それも、独特の神様がたくさん、日々の生活を見守っている。街中で特に見かける率が高いのは、仏教とともに生活する人々の生活だ。石を投げればどこかにあたるほど点在しているパゴダに足を運べば、熱心に祈りをささげる人々を目にすることができるし、早朝の托鉢や、来世のために徳を積むという人々の概念は生活の一部だということが、新鮮で興味深い。仏教徒の友人宅や町のお茶屋でネオンに囲まれ輝いている神様を見ても、驚かなくなるまでそう時間はかからない。宗教心のない私でも、気が付けばお気に入りのパゴダを見つけ、そこで静かに手を合わせれば心が落ち着くという概念が芽生えていることに自分でも驚いた。素直に手を合わせたくなる気持ちが信仰心で、神様は自分の中にあるのだと、気づかされる。
.
.
.
***************
「雨の時間」
C.T
ヤンゴンには雨季がある。一日中降るというよりは降ったり止んだりで、降るときは強く叩きつけるような大粒の雨だ。
まず、トタン屋根にたたきつける激しい雨の音で会話の声が聞こえなくなる。みな、もっと大声になるか、もしくは静かに黙って外を見つめる。あたりが雨のにおいと強く降りつけて地面から跳ね返る雨で、一気に湿気る。でも、じきに止むとわかっているので、それまで少しの間ただ激しい雨音に神経を委ねて、ぼーっと静かに外を見つめることになる。
雨が跳ね上がって真っ白な外と、怒ったようなトタンのドラム音がいっとき人々を圧倒させて、やがて小声になっていく。リズムを持った小太鼓が疲れてきたころ、空が少し明るいグレーになってくる。人々が動きを思い出して、また話し声や食器の当たる音が聞こえ始めると、大雨ショーはひとまず終了。みんなの意識が、それぞれに戻ってくる。そんな雨の時間の過ごし方は、カンカン照りの真夏日よりも気に入っている。
.